180504 ランダム
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★RYUの事・・・『7』

7月に入るとRYUのリハビリも進み少しずつ体力もついてきた。

「キャッチボールがしたい」というRYUの言葉に主人は大喜びして早速新しいグローブとボールを買った。

体調のいい日 病院の裏の駐車場のスペースでキャッチボールをした。

右手に障害が残り肘が真っ直ぐには伸びないが車椅子を自分で動かしたり筋力トレーニングで

大分握力などは戻ってきた。


精神的にも大分落ち着き 仕事をしている私に「疲れるから帰っていいよ」と8時前になると言ってくれた。

休日も「ゆっくりして午後からでいいからね。チビ達(弟妹)も可哀想だから」と・・・嬉しかった。

家族を気遣う余裕が出てきた事が・・・

毎日RYUと新しい家の設計の事を話した。

「ここはどうする?」「こうしてもらいたい」などなど・・・

「退院するまでには間に合わせるから頑張ってリハやってね」毎日の帰る時の私の言葉だった。

この頃になるとRYUもきついと言い訳をしてリハをサボる事もあったからだ。

半年以上寝たきりだった体を元の状態に戻していく事はしんどいし苦痛も伴うのはわかるが ここが頑張りどころ!!

時には厳しい事も言った。

私は心の中は別として RYUに対して「障害者だから」という扱いはしない事を決めていた。

可哀想と甘やかしては本人の為にならない。

厳しい社会で生きていけないと思った。

リハの件では特に喧嘩をし、「おかんにはわからんよ!!」とRYUはよくこの言葉を言ったが

「あぁ分からんね!!分かる気もしないしね!」とやり合った。


出来ない事は手を貸してあげるけど出来る事は自分でする。

障害者という目で見られたくない、でも障害者なんだからという 甘えもあったRYUに

そのことに対してよく話し合いをした。

「普通の親は子供がこんな風になると 優しくて何でもしてくれる」RYUは他の入院患者の家族の事を

言ったが「ごめんね~ママは普通じゃないんよ~」と言い返した。

それでなくても 祖母や親戚が「可哀想」と甘やかしているのに 私までそうする訳には行かない。

怒ってフォローしてを繰り返しながら私もRYUと共に成長していっていたのかも・・・


8月になり 家のほうも着工を待つばかりになりひと段落。

仕事の方も10日づけで退職した。

RYUの体調も熱を出す日が減っていき体重も徐々に増えてきている。

身長も立てないのできっちりは分からなかったが175cmにはなっているようで私も

174cmの主人も追い越されていた。

リハビリも朝夕2回自分で車椅子にのり リハビリ室に行くように。

ある日外泊した日に「髪を染めたい」と言うので茶髪にしてやった。


9月になると病室に行ってもいない事が多くなった。

何処へ行っているのか・・・喫煙室である。(-_-;)ふぅ~~

喘息があるのでタバコの害は話していたが止めはしなかった。

元々中3の時から部屋の真ん中に大きな灰皿(工事現場でおいてある物)を置いて

いけない事ではあるが家の中だけという条件で見逃していた。

叱ってその場はやめても 隠れて吸って火事になったり 外で吸うようになっては逆効果だと思ったから。


喫煙室で患者のおじさん、おばさんと仲良くなりよく可愛がって頂いた。

性格的に社交的な方である。

主人はタバコの件を知っていたが 両親揃って認めるのは良くないので わざと知らない事にしていた。

だから休日主人が見舞いに一緒に行くと 喫煙室に遊びに行けないRYUは

「仕事で疲れてるやろ?帰っていいよ、ゆっくり家でしたら?」と私達を追い返したがった。


未成年にタバコ・・・

絶対的にいい事ではないと分かっていたがそれでもRYUが喫煙室に行く為に人目を気にせず

6階から遠く離れた喫煙室まで車イスに自分で移り、動かして行く事の方が私達には嬉しかったのだ。

死の淵を彷徨い何度も何度も危険な状態を耐え抜いて一人前にタバコを吸いながら世間話をしているRYUを見ていると・・・

ただひとつ問題が・・・

看護士や医師が用があって来られても とにかく部屋にいない。

先生方もタバコの件は黙認してくれていた。

でもリハビリをすっぽかして喫煙室でおしゃべりしていた時はさすがにみんなから怒られてしゅんとなっていた。


9月になり体調のいい日が続いた為10日ほど 仮退院出来ることに。

まだ自宅は建築中の為 隣の実家へ・・・

家族揃って楽しく過ごしていたが、退院3日目RYUの右ひじが赤く熱を持ち腫れて来た。

どうも膿がたまっている様子・・・「もしかしてまた感染症?」恐々次の日病院へ・・・
やっぱり切開して膿を出さなければならなくなった。

仮退院は3日で終わり・・・

右ひじも複雑骨折で金属でつなぐ手術をしていたが 感染症を起こした時に一緒に抜擢していた。

体が異物を受け付けなくなっていたからだ。

しかし一本のネジだけが骨に埋まり残ったままになっている。

これが元でまた感染症?と不安になったが 膿を出し抗生剤の投与で治まっていった。


10月11月とリハをしながら体調を整え RYUの誕生日の11/30に13ヶ月ぶりに退院。

自宅の方も工務店に急がせ11/28にギリギリ引渡し完了していた。


新しい家でやっと家族6人の生活が戻った。






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